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● 丸谷秀人のつぶやき千里・第71回

 雪がふっていた。
 
 ひとごみが嫌いなので、誰もこないようなちいさなお社へ初詣にいったら、彼女
に会ってしまった。
 学園で彼女と話したことは一度もなかった。きれいだし勉強はできたし周りにヒ
トがいつもいっぱいいたしで、息をつめて全てをやり過ごし逃げるように教室から
消える俺とは人種がちがった。近所に住んでいたことは知っていたが、ただそれだ
けで、接点すらない相手。
 姿を見ただけで気後れして、回れ右して引き返してしまおうかとも思ったけど、
クラスメートなのにそれはかえって不自然で、偶然会っただけなんだから仕方ない
し向こうもこっちに話かけてこないだろうから、クラスで関係なく生きてる時と同
じだ。と理論武装して、ぎくしゃくと斜め後ろに続きそのままの位置関係でちいさ
なお社に新年がすこしでもいい年になればいいなと祈る。
 俺が顔をあげても彼女はまだ祈っていた。長いな。なにを祈っているんだろう。
さっぱりわからない。推測できるほどの情報をもっていない。そもそも俺と彼女で
は人間関係が全く重なっていない。
 とようやく彼女が顔をあげ、振り返って俺を見た。
 新年のあいさつくらいしないの?
 はぁ? と間抜けな声が俺の口からもれた。
 わけがわからない。元々なんの交流もない。彼女は俺の名前すら知らないと思う。
 ふん。というふうに彼女は顔をしかめ、すたすたと俺の脇をとおりすぎる。
 
 彼女の吐く息はしろく、俺の吐く息と同じ色をしていた。
 
 きっと大気より多めに二酸化炭素が含まれている。
 大気中の酸素を吸って二酸化炭素を吐く。それが呼吸のメカニズム。
 こんなにきれいなヒトなのに、体の構造は俺と変わらないのだ。それが不思議な
気がした。残酷で気紛れな彼女は、俺とはちがう特別製の肉体があっても不思議な
いじゃないか、なんて思ってしまう。スーパー肺とかスーパー心臓とかスーパー脳
とか。
 
 だけど同じなら。うしろから鈍器で殴ったら死ぬな。
 
 俺が殴られたら痛いように、彼女も殴られたら痛い。俺が彼女をここで殴ったら痛
いんだろう。強く殴りすぎて地面に倒れてケガでもしたら赤い血が流れるんだろう。
昔、戦場で貧民出身の弓兵達が乗馬した貴族達の馬を狙って次々と落馬させたとき、
その頑強な鎧の隙間に偶然命中した矢のせいで流れる血が自分たちと同じ赤だと気付
いて、なんだこいつら貴族とか言ってるくせに血が赤いんだ! 俺達とおなじいやし
い血なんだこいつら殺せるんだと、歓声をあげて驚喜して大殺戮をしたそうだ。
 
 本当に彼女は俺の近所らしく帰り道も同じだった。
 近所の参拝客が多くてテレビにも映るような神社にヒトが集まっているせいか、誰
とも会わない。去年もその前も、俺がここへ来るようになってからずっとそうだ。
 
 彼女はどうなんだろう?
 ここに詣でたのは初めてだったんだろうか?
 それとも俺と同じように、ひとけのない道を毎年歩いていたんだろうか?
 
 もちろん。訊かない。
 しゃべることもなく、これからしゃべることもないだろう。
 きっと彼女は今日のことを30分後には忘れている
 新学期になれば会ったことなど跡形もない。きっと今でさえ。
 
 油断してるんだよね。と不意に彼女はつぶやいた。
 なにが? と思わず訊き返すと、世界に。と言葉が返ってくる。
 なにもかもかわってしまうのに、明日も明後日も今日や昨日と同じだと思っている。
思い込んでる。なんで油断してるんだろ? なんの保証もないのに。
 楽だからじゃないの。
 つまんない答えだね。あんたになんか訊いたのがバカだった。
 ああ。
 あんた会話するような資格ないもんね。
 ああ。
 認めるんだ。
 ああ。
 
 一学期、二学期、教室で会話をした量全てに匹敵する会話をしてつかれる。
 思わず訊き返したのを早くも後悔する。
 
 わたし転校するんだ。
 
 今度は訊き返さなかった。
 クラスで俺にとって彼女は別世界。彼女にとって俺は別世界。
 別世界のことがなんの関係がある? ない。なんにもない。
 いてもいなくてもかまわない。
 クラスに俺ひとりしかいなくても、今となんにも変わらない。
 
 そういえばあんたの名前なんていうの?
 
 俺は聞こえなかったふりをして、そのまま角を曲がった。
 
 ちらりと顔をあげると、道路のミラーに立ち尽くしている彼女が映っていた。
 それが彼女を見た最後になった。
 
 新学期。彼女の姿はクラスになかった。
 
 担任が彼女が親の都合とかで転校したと言った時、周りは驚いていた。
 俺もうつぶせていた頭をすこしだけあげて、なんの騒ぎだろうという顔をしてみせ
た。それだけだった。
 
 それだけの話だ。


2014/01/24



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